インタビュー 浦部知恵さん

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マチノワジョブ会員の武石ちひろさんがご自身のnoteにマチノワジョブ共同代表の浦部知恵さんのインタビュー記事を掲載しました。ご本人の許可を得て、転載させて頂きます。ご覧ください。



「母が仕事をつくるまで」インタビューvol.1 自分らしくはたらくお母さんが子供を笑顔にする

町田にあるコワーキングスペース「COMMUNE BASE マチノワ」で「マチノワジョブ」を展開する浦部知恵さん。マチノワジョブでは、「町田に暮らす女性の、働く未来を応援する」をコンセプトに、ワークスペースやキャリアコンサルサービスを提供しています。

知恵さんはこれまで、初職で美術品販売の仕事に就き、その後、派遣会社の営業に転職。出産を機にメディアでの事務職、ハローワークと、2人の男の子を育てながら、様々な職を経験してきました。ハローワーク在籍中に第3子を妊娠し、退職した後、より自分らしいはたらき方を模索し、現在はフリーでキャリアコンサルや地域イベントの企画など、マチノワジョブ以外にも忙しく活躍されています。

いつも溢れる笑顔で周囲を明るくしてくれる知恵さんがどのように今のはたらき方に至ったのか、インタビューしました。

知恵さんwide

目次

  1. 3人目の出産を機に専業主婦に
  2. お母さんの「はたらく」を応援する
  3. 周囲への感謝を忘れない

3人目の出産を機に専業主婦に

2人の息子さんの育児と仕事を両立させてきた知恵さんでしたが、3人目の出産の際、小さな頃を思い切り一緒に過ごしてみたいと、勤めていたハローワークを退職することを決意。その後、3人目が1歳を少し過ぎたタイミングで町田新産業センターが主催する創業スクールに参加します。創業スクールと聞くとハードルが高く感じますが、ハローワーク在籍中からスクールの存在は知っていて、キャリアコンサルタントとして、扶養枠内で何かできることがないかと思ったことがきっかけだったそうです。

ちょうどその頃、気持ちに余裕ができて、学校のPTA活動の委員も始めます。そこでの出会いが知恵さんのその後に大きな影響を与えることになりました。自分に身近な地域でがんばっているお母さんたちがたくさんいることに気づいたのです。

その後、のちに一緒に「マチノワジョブ」を立ち上げる「COMMUNE BASEマチノワ」コーディネーターの山本満さんとの出会いがあったり、町田のお母さんたちによる地域イベント「まちママOpenDay」の事務局を担当するなど、今の活動に繋がる出会いがたくさんあったと知恵さんは話します。

この頃は儲けるというよりも自分がやりたいことを探求していくときでした。メディアで事務をやっていた頃の経験を活かして、HP制作の仕事を請けたり、キャリアコンサルの相談を受けたり、小さな仕事をやりながらイベントに関わっていました。ボランティアというよりはこれからの活動の土台固めだと思ってやっていました。

イベントをつくる一方で、個人として産休育休セミナーも開催したことが、自分のやりたいことを確信するきっかけに。

ハローワークでもやっていたセミナーなのですが、そのときよりも大きな手ごたえを感じました。参加者がリラックスしてくれているのが伝わってきて、これが私の作り出す場なんだと感じ、これでやっていこうと開業届も出しました。すごく感動したことを覚えています。

知恵さんのつくる、はたらき方を考える場は「チエノワ」という活動に引き継がれ、現在は「COMMUNE BASE マチノワ」で不定期に開催されています。また、2021年1月には、同じ思いを持つ仲間と「自分に素直にはたらくを考える」と題した市民講座を開催。同年4月、マチノワ創業者の山本満さん、株式会社mogでワーキングマザーのキャリア支援を行う鈴木伸太朗さんと共に「マチノワジョブ」を立ち上げます。マチノワジョブでは、これから働きたい女性のためにワーキングスペースの一角を開放したり、キャリアコンサルや、地元で働く機会を創出しています。

マチノワジョブ

お母さんの「はたらく」を応援する

お母さんのはたらくを応援する活動が一つの柱となっている知恵さんですが、その根本には子供たちへの思いがあるそうです。

根本的にはお母さんのためというよりは子供のためです。世の子供のため。未来を支える子供たちにとってお母さんの影響は絶大です。自分自身も元気でいたいし、子供たちにもそんな自分の背中を見て、うちの母ちゃんかっこよかったなって思ってもらいたい。自分の子供だけでなくて、周りの子供も元気だったら、回りまわって、うちの子も楽しい。だったら周りのお母さんも巻き込んじゃおうって感じです。だから今は、お母さんにフォーカスしているけど、子供が巣立っていけば、いずれは変わる可能性もありますね。

出産したからこそ芽生えた思い。それに気づいたのは一旦仕事から離れたときでした。

思い自体は、1人目を出産した時からあったのだと思います。でも3人目を生むまでずっと働き続けていたので、そこまで内省して考えたことはありませんでした。3人目を生んで、一旦仕事から離れて、ようやくその思いに気づきました。今はその思いを井戸から掘りあげているような感覚。そして、多くのお母さんや子供たちと出会うことで、その思いが形になってきました。でもまだまだ途中。子供が育つまでずっと途中なんだと思います。

今は「やってみたいけど、自分の力だけでは」という人が多いから、マチノワジョブのように、女性のはたらくを応援する活動が中心になっています。でも時代が変わり、独り立ちするお母さんが増えれば、いずれ悩みも変わるのだと思う。そのときには自分ができることも変わっていると思うから、変わっていくことに恐れはありません。自分も成長していきたいです。

周囲への感謝を忘れない

育児と仕事の両立に悩んだ会社員時代、天職だと思いながらも一旦離れたハローワークでの仕事。ゼロから始めた自分らしいはたらき方が花開き始めた知恵さんが今思うこと。

いろいろなことをやってきたけれど、ようやく自分の得意なことがわかってきたような気がします。振り返ってみると、大学で教育学部に進んだのも、学校、家庭、地域の教育を繋ぐ人材になりたいと思ったからで、その思いは今もぶれていません。会社員の頃の経験も今に役立っていることもたくさんあります。ちゃんと自分の進みたい道に進めている。

初職の頃から、目の前の人の人生を変えるかもしれないと思って仕事をしてきました。私の10分の話が人生を変えるかもしれない。そういう思いを積み重ねてきて今がある。私に話をしてくれる人、私の話を聞いてくれる人みんなに「ありがとう」という気持ち。周囲には感謝しかありません。将来、活動内容は変わってもこの思いは変わらず私の根底にあり続けるのだと思います。

インタビュー中、「流れるように今がある」という言葉を何度も発していた知恵さん。いつも笑顔で心地よい空間をつくってくれるから、つい周囲がいろんなことを話し、相談したくなるのもよくわかる。私も一緒に市民講座を企画させてもらって、自分らしくはたらくチャンスを知恵さんにいただいた。自分が住む街に、知恵さんがいてくれてよかった。インタビューをさせてもらって、改めてそう思いました。

知恵さんのことをもっと知りたいという方は、知恵さんのWEBも訪れてみてください。
https://www.chieurabe.com/

(インタビュー&文/武石ちひろ 武石さんのnoteも是非ご覧ください。)